3月末に人間ドックを受けた。
検査を受けている時から、何かありそうだな。
と感じていて、案の定再検査。
大学病院を受診した。
結果【浸潤性の乳管癌】とのこと。
大きな転移もなく、とりあえず5月13日に手術を受け
そのしばらく後から、放射線治療を受ける。
今まで、他者が大きな病に臥せる話を聞くと
心中いかばかりか…
と言葉を失っていたのに、いざ自分が罹ると
落ち込むどころでは無い。
いや落ち込んでいる暇は無い。
入院中の仕事のこと、家庭のこと
そして、入院生活をストレスなく過ごす準備。
実は私、自分が子どもを産むとも、結婚するとも思っていなかった。
長男を妊娠して、4か月に入るころに大量出血
「ほらね。やっぱり私には授からないのよ。」と思った。
そのまま入院となり、4人部屋。
切迫早産の人達はドップラーで心音が聞ける
私は切迫流産なので、ドップラーでは聞けない
「幸せの音」と思って羨ましく聞いていた心音
その後、どうにか体内にとどまってくれた長男。
幾度も幸せな気持ちにさせてくれた心音を産まれて初めて、胸に耳を当てて聞いた時。喜びではなく、血の気が引ひく程の恐怖を味わった。
【この心臓の音が止まったらどうしよう】
そして次に思ったのは
【世の中の関係ないと思っていたニュースは隣り合わせ】
翌年には長女にも恵まれて
その日から、13年が過ぎた。
まだ、ニュースになるような出来事には出くわさないが
子どもの障害と向き合い、不登校も体験した。
そして、今度は病気になったことで、自分と向き合う事ができる。
13年前に私が抱いた恐怖は
実は、幸せの始まりだったのだ。
これまで、いつ死んでもいいように
精一杯生きてきた。
もちろん、これからもそれは変わらない
だけれど一分一秒でも長く我が子らの成長と園児の成長を
瞼に焼き付けたい。そんな風に思う。
もう一つ
私が通院している病院の”乳腺・内分泌外科”には、いわゆるAYA世代⦅Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字をとったもので、主に、思春期(15歳~)から30歳代までの世代を指している⦆の患者さんが多い。
小さい子どもが居る雰囲気、そしてこれからも妊娠を希望しているであろうと見て取れる。
私もそのころの発症であったら、こんなに落ち着いてはいられないだろう。
是非健診に足を運んで、早期発見をと願うばかりだ。
☆長文になったのは
5月11日から療養に入る言い訳です。
お泊り保育までには、通常の園長先生で戻ってきたいと密かに目標を立てています。
時節柄皆様も体調には十分お気を付けください。
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