日常にある幸せ

 3月、私は体調を崩し救急車で運ばれた。自力で歩く事、体を動かすことも出来ず車椅子の生活が数日続いた。

入院中、1人で病室にいると、自暴自棄な考えをしてしまう。

このまま歩けなかったらどうしよう…

仕事は?

そもそも前のように普通に生活できるのか?

 

当たり前に出来ていたことが当たり前にできない。
何で私ばかりこんな目にあわなきゃいけないのか…。

体調の事だけでなく、今までの辛かった経験、自分の中の妬みや悲しみ、負の感情が込み上げてきて涙が出た。

 

“私何か悪いことでもしたかなぁ?””何で神様はこんなことをしてくるんだろう…”と、神様を恨んだこともあった。

 

そんな中、心配して連絡をしてくれた友人や職場の先生方、お見舞いに来てくれた家族や親戚。笑い声が響く病室を見て、私は再び涙が出た。その温かさに触れ、そっか、私は一人じゃなかったんだと、”私は幸せ者だったんだなぁ”と、感じる事ができた。

 

当たり前の日常につい忘れがちになっていたが、側に誰かがいてくれる事のありがたさ、そしてその幸せを忘れてはいけないなと感じた。

 

 私はつい人と比べてしまう。そして、羨み焦り…自分で自分の首をしめていたようにも思う。

“人は人”とは言うが、そんなきれい事におさめられもしない。

 

でも、今回の入院で人の温かさ、当たり前が当たり前にできる事の喜び、その小さな幸せがどんなに幸せなことで奇跡のようなことか、と痛感した。

 

そして、日常に戻って数ヶ月たった今。またその幸せを忘れかけそうになり、負の自分が出て来てしまいそうになる。

 

そんな時はこの歌の歌詞を思い出す。
大好きな歌の一つ『世界に一つだけの花』。

だれもが知ってる歌だと思う。改めてじっくりと歌詞を読んでみると、一つ一つの言葉が身に染みて涙が出る。

 

幸せの形は様々だと思う。
みんな違ってみんないい。
私の今の幸せを感じながら、感謝の気持ちを忘れずに、今後も過ごしていきたい。

 

Y.M